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Fashion Royalty & FR Nippon Misaki のDoll写真ブログ

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FUKUSHIMA 原発避難日記 その59:国境の南


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国道6号線の検問所。
ここから先、福島第一原発の付近へは、国の許可なしに立ち入ることができない。



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2011年3月12日の夕方、避難指示により原発から半径20キロ圏内の我が家を後にしてから
避難生活は早くも シーズン 3 に突入。

他県の借り上げ住宅から、福島県内の仮設住宅に移りました。

福島へ帰ってきたその日に、フクイチの燃料プールの電源が落ちて冷却不能になるという騒ぎ。
なんてデンジャラス。
万が一避難しなければならなくなった時のために、車のガソリンを入れに行きましたとさ。



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最前線での生活が始まりました。 引っ越し疲れたー。


*国境の南  

教会の鐘は告げていた、そこに留まってはならないと
国境の南、メキシコのあたり 
ア~イア~イアイア~イ♪

その昔シナトラが歌っていた曲。



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↑一昨年の夏に警戒区域から救出され、再び福島へ戻ってきた パテント・プリーズ Misaki


*おまけ* 遥かな尾瀬 遠い空        ・・・なんちゃって。


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仮設住宅のそばに、ミズバショウが咲いているのを発見。
写真で見ると人里離れた山奥のように見えるけれど、実は住宅密集地の一部に残った防風林の中です。

最初、林の中にスーパーの白いレジ袋が捨てられているのかと思ったわ。



拍手&コメントありがとうございます。

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[ 2013/03/27 16:48 ] 未分類 | TB(0) | コメント(-)

FUKUSHIMA 原発避難日記 その31:あの日


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東日本大震災で犠牲になられた方々に哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。
支援をしてくださった世界中の皆様に感謝いたします。
誰もが皆、心穏やかに暮らせるように祈っています。



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あの日がやってくる。
人によって「あの日」は違うのだろう。 8月15日だったり、9月11日だったり。
今まで、大きな意味を持ち、なおかつ、それ以前・以後に分かれてしまう様な日は
自分には無かった。

大震災の真っ只中に居ることは、点描画を超至近距離で見ているようなもので
東日本大震災という事象を構成する要素の一つ一つを体験しながらも、その全体像は解らない。


↓ウチにいるドール達の全員集合写真が続きます。
[ 2012/03/11 14:46 ] 未分類 | TB(0) | コメント(-)

FUKUSHIMA 原発避難日記 その29:うつくしま、ふくしま。


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~福島第一原発半径20キロ圏内を行く~その4  <一時立ち入り(一般)3巡目 2月中旬>

無人の警戒区域内、街中を野生化したダチョウが闊歩しているという。
そのシュールな光景を見たい。この目で見たいぞ。
(原発の立地している大熊町に国内では珍しいダチョウ牧場があり、そこのダチョウが逃げ出したのだろう)

一時立ち入りの3回目。 
今回から立ち入りの手続きをする中継基地は、警戒区域北端の南相馬市の“馬事公苑”と、
南端に位置する楢葉町にある“道の駅ならは”、この2箇所から選べるようになった。
楢葉から入って6号線を北上するコースを行けば、ひょっとしたらダチョウに会えるかも ってなわけで夫に
「楢葉から行こうよ。ダチョウ見たいよ」とお願いしたところ、
「原発の近くを通るのは嫌だ」とあっさり却下された。 
福島第一原発と6号線、最も近い所だと2~3キロしか離れていないから線量高いしね。ま、仕方がない。

なにはともあれ、常磐自動車道を一路、北へ、北へ、いざ参らん、うつくしま、ふくしま。



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国境の長いトンネルを抜けると



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雪国 通行止めだった。

“災害通行止”・・・半径20キロの警戒区域にかかっている高速道路の区間が通行止めになっている。
常磐富岡IC以北は既に着工済み。しかし震災以降は工事がストップしてしまい開通するのは何時になるやら。
ついでにJR常磐線は、地震の影響で双葉の鉄橋が落ちているらしいし、線路は津波をかぶっているしで
こちらも運転再開のめど立たず。
いずれ警戒区域が一部解除されるとしても、あの辺一帯は陸の孤島になってしまうだろう。


遠くに見える青黒い山々のシルエット。ピンと張り詰めた冷たい冬の空気が好ましい。
つか、寒い。 ふぐすぃま寒いよ!



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南相馬市の中継基地で立ち入りの手続きをし、通行許可書と連絡用トランシーバー、防護服類、線量計を受け取って
検問所を通り原発から半径20キロ圏内の警戒区域に車で入る。



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今回のミッションは、自宅裏庭にある農業用ビニールハウスのビニール屋根を外すこと。
わざわざ警戒区域内にまで何しに来た?って、これだけのために来たんですよ。嗚呼もう、悲しくなるわ。



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福島の浜通り地方では2~3月頃、まれに大雪になることがあり、20cm以上積雪があるとハウスが潰されてしまう。

もしハウスが潰されてしまった場合、損害賠償の対象になるだろうけれど、おそらく材料費程度しか出ないだろうし
壊れたハウスの片づけやら何やら手間がかかるから、大雪が降る前に外しておけば心配をする必要もなかろう。
というわけで作業開始。



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ビニールハウスの屋根には放射性物質が降り積もっていて、雨が降れば雨と共に流れ落ちる。
となれば、ハウスの両側はちょっとしたホットスポットになっているかもしれないなぁ・・と思いつつ
枯れた雑草を掻き分けながらビニールを外す作業をすること1時間半。なんとか時間内に終わらせることができた。



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警戒区域の滞在時間が3時間半で、累積線量は1マイクロシーベルト。思ったほど被爆はしていなかった。
福島以外の地方の放射線量と比べるとケタが違うのだが、警戒区域内ではこれでもかなり低い方なのである。



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再び検問所を通り中継地点へ戻る。
自宅から運び出した物品と、靴の裏、車のタイヤの放射線スクリーニングを受けて問題なければ終了。
これにひっかかると、簡易除染所に連れて行かれて「汚物は消毒だー」となるらしいよ。



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今回からなんと、スクリーニング検査が↑“ドライブスルー方式”になったんですって!
あと、今回はペットの直接持ち出しが可能になったらしいが、今頃そんなの遅いよね。。。

警戒区域内に残されたペットや家畜に関する話は、いずれブログに書きたいと思う。



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家から持ってきたもの。
怖い顔したFRに会いたくて、↑アデールと不良娘エリンを連れてきた。
家に置きっぱなしになっている人形を見てみたところ、どれもこれも髪がゴワゴワになっていた。
部屋を閉め切って風通しが悪くなっているせいかしら?

警戒区域が解除されるのは、一番早い川内村でも今年の年末になるだろうか?
自宅周辺の除染は何時になったら終わるのかわからず、これ以上ほったらかしておくと
レンズがカビだらけになってしまうだろうし、警戒区域内では空き巣の被害も増え続けていると聞いたので
自宅においてあったカメラとレンズ↓を持ち出してきた。

(立ち入り禁止の警戒区域内で空き巣被害?と思われるかもしれない。しかし入ろうと思えば入れるのである)



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福島第一原子力発電所から半径20km内にあり、警戒区域に指定されてしまった自宅。

部屋の中に、埃の積もったコーヒーカップが転がっていた。
それを使っていた頃の、これといって何もない日々の記憶が蘇る。
水面に向かってふわっと浮き上がってくるような、その感覚は甘美である。
福島の空気は、実に情報量が多い。
空気を胸いっぱい吸い込むと、初冬でも真冬でもなく、遠い春の訪れを心待ちにする頃、
光の色が変わり始めた冬の匂いがする。


・・・なぁんて具合に、優雅で感傷的な気分に浸っていたけどさ、
空気と一緒に放射性物質も吸い込んじゃってるかもしれんな。クソっ。美しい福島を返してくれ。


*「うつくしま、ふくしま。」は、福島県のキャッチコピーみたいなもの。
都市機能移転に関する「森にしずむ都市」というのもある。こちらのコピーは不評だった。
ヨコだけど「ピュー!と吹くジャガー」には福島県出身のシャイな青年、宇津久島福嗣(うつくしま ふくし)君という
キャラクターが登場する。


[ 2012/02/25 16:52 ] 未分類 | TB(0) | コメント(-)

FUKUSHIMA 原発避難日記 その21:国破れて山河あり


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~福島第一原発半径20キロ圏内を行く~その2  <一時立ち入り(一般)1巡目 7月中旬>

どうして自宅へ帰るのに、こうも大げさな格好をしなければならないのか。

(長袖・長ズボンであれば、防護服は着なくてもかまわない。前日に雨が降ったので念のため着用した)



一時立ち入りの集合場所へ行き、係員から防護服等や水、軽食(菓子パン)を配布される。
立ち入りの際の注意事項や防護服等の着用方法(これがやたらと面倒くさい)、
手順などの説明を受けてから地域ごとにマイクロバスに分乗し、20キロ圏内の警戒区域へと向かう。
ちなみに、バスの中は0.7μsvだった。

ピンク色のビニールシートが張られたバスの車内から外を眺める。
「ゴーストタウンだ」と誰かが呟く。

ゴーストタウンというか、あの景色にピタっとはまる表現がない。
“国破れて山河あり”・・・に近いかな。
むっとする真夏の木々や草の生命力、自然の勢いだけが変わらずにある。

自宅近くで車から降りる。道路上の放射線量は 0.38μsv 
なぜバスの中より数値が低い?(バスの中が汚染されていると思われる)


庭も裏の畑も草ボーボー。
家の中へ入ったら鼻を突く酷い異臭が。。。


なんと家の中で仔猫が死んでいた。
本震でたてつけが悪くなり鍵を閉めることのできなかった窓が、避難した3月12日以降の余震で開いてしまい
そこから野良猫が入り込んで家の中で仔猫を生み、その仔猫が死んでしまったらしい。

畳が汚れてしまって、おまけにものすごく臭い。
その光景を見て脱力感に襲われる。

カレンダーは3月のままだった。
しかし確実に時間は過ぎ、家の中は3月12日の時点よりも荒れていた。



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私が70×70のビニール袋(45ℓゴミ袋と同じ程度の大きさ)に詰め込んで持ち出したものはコチラ
↑↓究極の選択。後から「あああ、何でこんなCD持ってきたんだ?アレを持ってくれば」と煩悶したが。



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屋外に放置されていたものは持ち出し不可、食品はダメ、生き物(ペット)もダメ、危険物もダメ。
まぁこれらは解るが、何故か“軟膏”持ち出し不可。医薬品はオッケーなのに、なんで?


自宅での作業を終え、(正味2時間)迎えに来たバスに乗って集合場所へ帰る。
集合場所で身体のスクリーニングと持ち出した物品の線量検査をして、問題なければそれで終了。
午前8時半から始まって3時過ぎに終わった。


スクリーニングの後、東電の担当者に
「家の中で猫が死んで畳が汚れてしまったのですが賠償してもらえるんですか?」と聞いたところ
「対象外」の返事。
ウチの場合はネコ程度で済んだが、野良牛が家に入り込んで玄関メチャクチャなんてお宅もある。
賠償しないってどういうことなのよ。と激しい憤りを感じた。
*注*現在は、このような事象も補償の対象になっている。

避難先での日常と、警戒区域内の自宅と。
二重の現在がある。ふたつの現実がある。

避難区域の自宅へ帰ると、パラレルワールドに迷い込んでしまったような感じがする。
気分がひどく落ち込む。



で、その日避難先アパートへ帰る途中、7月初旬と同じように計画的避難区域(飯舘村)を通ったら・・・
またフツーの格好で草刈してましたよ! 今度はじーさんとばーさんの二人がマスクも手袋もなしで!フツーに!
大丈夫なのか? えええ?



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~福島第一原発半径20キロ圏内を行く~その3  <一時立ち入り(一般)2巡目 10月中旬>

自家用車での一時立ち入りが可能になり、10月中旬に許可が下りて一泊二日で福島へ。
ついでに知人の仮設住宅などにも行ってきた。

仮設住宅やその周辺の人々は、以前と変わらぬ生活を送っていて、マスクをしている人はまれ。
(小学生はマスクをつけていた)
その光景を見ていると、そんなに気にする必要ないのかな~と思ってしまう。
気にしなくても平気なんじゃないかな、だって福島市とか郡山市の方がよっぽど線量高いんでしょ?と。


一時立ち入り当日。

一時立ち入りの集合場所へ行き、説明を受け、今回は登録した自家用車で20キロ圏内の自宅へと向かう。
田んぼが凄いことになっていた。見渡す限りまっ黄色の花、花、花。セイタカアワダチソウ畑になっている!

自宅に着き、背丈よりも高く伸びた雑草を掻き分けて家に入る。
あれから3ヶ月、自宅の状況はさらに悪化。

畳が腐って虫がわいてるじゃん!あああああ。たぶん床までいってるよ。
部屋の中にある物は全てカビだらけ。
たった半年ちょっとでこの有様、どうしてくれるんだ。

先日、避難区域が見直されるという発表があった。
年間累積線量が20~50ミリシーベルトの場所は、数年後に避難解除になるという。
がしかし、3~5年も経ったら家が傷んでしまって住めなくなるのではないだろうか。
事実上、帰還不能になってしまうのではないだろうか。



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使用前。



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使用後。


自宅へ帰って作業を始めてから約2時間、ふと線量計を見ると、数値に変化が。
放射線は目に見えない、匂いもしない、分からないから実際に被爆していても何とも思わなくなってしまう。
でもこうして数値としてみると、確かに被爆していることが分かってギョッとした。



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3時間後、荷物を車に積み込み自宅から集合場所へ向かう。
靴の裏と車のタイヤ周り、運び出した荷物のスクリーニングをして終了。


とまぁそんなわけで、あっちの現実を目にして再び気分が落ち込んだのだった。
思い出すだけで凹む。ため息しか出ない。



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ちょびっとだけ明るい話題。
水なしで半年あまり、ハオルチアは生きていた。
100均で買った多肉最強。 通販で買った高いハオルチアは枯れていた。



*おまけ* ドールブログだし。一応。


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ボディ交換をして髪形を整えたダーラとポピー。


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百恵ちゃんぽい? 70年代の香り?

[ 2011/12/21 14:59 ] 未分類 | TB(0) | コメント(-)

FUKUSHIMA 原発避難日記 その13:BWV147-10


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          < 運動の自由度 あるいは 人生の曲がり角 >



台風12号による豪雨の災害お見舞い申し上げます。




苦しみのない人生に、どんな満足があるっていうんです。
何もかもが、果てしないひとつの祈りと化してしまいますよ。
そりゃあ神聖だろうけれど、ちょっと退屈でしょうね。

                             カラマーゾフの兄弟




震災から約一週間後に、原発半径30キロ圏内の一時避難所の体育館から他県の避難所に移った。
その避難所の廊下にオルゴール付きの時計があって、一時間ごとに電子音の様々な曲のメロディーが流れる。

夜9時になると バッハのカンタータ“主よ、人の望みの喜びよ”のメロディーが流れ、それを聴いたとき、
震災前の何気ない日常----リビングルームに置いてあるノートパソコンで、YouTubeに上がってる
“ウサビッチ”の動画(ウサビッチでは、ほぼ毎回ラストシーンで“主よ、人の望みの~”が流れる)
を見ながらケラケラ笑ったりしている、そんなひととき----を思い出し、
「私は特にこれといって何もない、ごく普通の日常を失ってしまったのだ」と感じて思わず涙があふれた。


マテリアリストの私に、このタイミングでこの曲? 冗談キツイわ、、、とも思ったが。


ところが、それから1ヶ月もしないうちに、
「日常を失ったのではなく、今までとは違う新しい日常が始まったのだ」と考えるようになった。

ものの見方、視点を変えるっていうか、前向きな考え方じゃん。フフフってな感じで。



しかし、それから3ヵ月後の7月になって20キロ圏内の警戒区域に入り、警戒区域内の光景を見て
「現実はそんなに甘くない。かなり厳しい」と思い知らされた。

震災から6ヶ月。
いつになったら帰ることが出来るのか分らないし、生活再建のめどは立っていない。
それよりなにより、除染! どうするんだよ!
家の敷地の表土を3センチ剥がしたとして、その量は1tや2tじゃきかないだろう。
あぁぁ、気が遠くなる。


それはさておき、
避難生活を送っていると、何かとストレスなどがあって、怒りの沸点が通常より低くなってくる。
先日も娘と些細なことで口論になってしまったのだが、その際娘に
「ママはとんでもない現実主義者だよ」と罵られた。
奇しくも同じ日に実母から「貴女はすごく現実主義なのね」と言われていた。

そうだったのか。 リアリストだったのか。 自分では全く気づいていなかったよ。


*運動の自由度=6(上下左右前後)  写真は六ツ辻の道路標識。


[ 2011/09/10 17:55 ] 未分類 | TB(0) | コメント(-)

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